尾西食品株式会社尾西食品株式会社

Onisi 防災コラム その時なにが起こったのか、今からどう準備すれば良いのか 〜 専門家のアドバイス、被災された方々の声を通して、非常食、防災食のあり方を探る 〜 Onisi 防災コラム その時なにが起こったのか、今からどう準備すれば良いのか 〜 専門家のアドバイス、被災された方々の声を通して、非常食、防災食のあり方を探る 〜

2021.03.11

東日本大震災。その時、アレルギーをお持ちのご家庭は?

~命からがら助けと「食」を求めて・小児医療現場の葛藤~

三浦克志先生(宮城県立こども病院アレルギー科科長、総合診療科部長)

東日本大震災のときの小児の拠点病院として機能した宮城県立こども病院。同病院のアレルギー科科長、総合診療科部長を兼任する三浦克志医師に、被災時の経験や、アレルギーを持つ子どもたちに関する課題、備蓄の重要性などについて伺いました。

 
各地から集まった災害支援の車両(仙台市内)



――東日本大震災当時、三浦先生はどんな対応をされていたのでしょうか。
三浦克志医師(以下 三浦) 3.11が起こったのは夕方でしたが、当院は小児の最終拠点病院となっているため、最初の頃に来たのは停電したことで在宅人工呼吸器が使えなくなった重症心身障害児などの患者さんです。ガソリンがなく、道路も津波で滅茶苦茶になっていたため、病院に来たくても来られない人も多数いたと思います。1時間くらいかけて自転車でこの病院にたどり着いたという方もいました。石巻や気仙沼、南三陸などで孤立状態になってしまっていた患者さんがヘリコプターで運ばれてくるケースもありました。


――災害時の急性期(発生から1週間程度)で見えてきた食の問題は、どんなことですか。
(三浦)仙台市は大きいため、地域によって異なるのですが、当院のあたりは幸いダムの近くなので、水だけはなんとか確保できた状態です。しかし、場所によっては、1カ月くらい、人の手が全く入らず、おにぎりとみそと雨水だけで飢えに耐えていたという話です。東北の人は本当に辛抱強いなと改めて感じました。さらに、東北は米どころなので、米だけはなんとかなったという話も聞いています。
 また、助かったのは、仙台市が水を加えるだけで食べられる「アルファ米」を備蓄していたこと。市内のそれぞれの区役所や消防署、避難所などに備蓄してあったそうです。ただ、確保されていたのは3日分だけで、実際にはそれが十分な量か見直しが必要な点でもありました。


 
当時の仙台市中心部



 

備蓄が災害弱者を救う・見えてきた「食」の課題


――アルファ米は一般的には、東日本大震災以降に一気に浸透した感がありますから、仙台市の備蓄の意識は高いですね。
(三浦)そうだと思います。当時は、アルファ米があまり知られていませんでした。しかも、仙台市がその当時、アルファ化米を備蓄していて、アルファ米は誰でも食べられることを把握していたことは驚きでした。例えば、アレルギーをお持ちの方や、乳幼児、高齢者なども、アルファ米だったら食べられるわけです。アルファ米のワカメご飯などが実際に備蓄されていたと思います。また、仙台市では、3.11が起こる前に、ミルクアレルギー用の「ニューMA-1」の備蓄もしていました。ただ、水では溶けないので、アレルギー対応の液体ミルクが開発されると良いなと思いました。
課題は、備蓄があったのに、効率よく配給ができなかったと思われることです。当時はまだ一般的には食物アレルギーそのものの認識も薄く、アレルギー対応食やアレルギー対応ミルクの存在が浸透していなかっただけに、最初からアレルギーのあるお子さんのご家庭では、諦めてしまっていたところもありました。そうした配給面での課題はあったものの、後に一部の区役所の職員さんは、アレルギー対応食やアレルギー用ミルクの知識を持っていて、必要としていた子に渡してくれていたようです。


――病院食などの不足はなかったのでしょうか。
(三浦)病院食は保存食なども利用し、なんとかまわせていたようです。とはいえ、患者さんが優先でしたので、私たち医師は1週間くらいカロリーメイトで昼食を済ませていたこともありました。仙台空港は水浸し、仙台港も津波で壊滅し、新幹線も通らない。ガソリンもなく、福島原発の水素爆発で東北自動車道も通れない。そのため、新潟―山形経由で宮城に入ってくるなど、なかなか物資が届かない状態が続いていました。そのため、仙台市内では長期にわたりスーパーに多くの人が並んで食品を買っていましたね。


 

年々増加傾向にある子どもの食物アレルギー・家庭備蓄の重要性


――アレルギーを持つお子さんの保護者さんたちにアンケートもとられたそうですね。
(三浦)宮城県立こども病院総合診療科と仙台医療センター小児科、森川小児科アレルギー科を定期受診した402名のアレルギー疾患の小児の保護者を対象に、アンケートを行いました。困ったこととして最も多かった回答は、気管支喘息では「停電のため電動式吸入器が使えなかった」、アトピー性皮膚炎では「入浴できず湿疹が悪化した」、食物アレルギーでは「アレルギー用ミルクやアレルギー対応食品を手に入れるのが大変だった」でした。また、岩手県、宮城県、福島県の沿岸部在住のアレルギー児900 名の保護者を対象としたアンケートでは、受診ができなかった例が見られたほか、食物アレルギーではアレルギー用食品の入手が困難であった例が多く、また誤食によりアナフィラキシーを生じた例もありました。
 

――3.11を経験されて、改めて感じた災害対策で重要な点はどんなことでしょうか。
(三浦)備蓄はかつて3日分程度が必要とされていましたが、1週間分くらいは必要なんじゃないでしょうか。備蓄とともに、災害時の物流ルートの整備も必要だと思います。
仙台市では現在、クラッカーを除き、全ての備蓄品を誰でも食べられるアレルギー対応食にしています。これは、配布の手間を減らし、配布ミスのリスクを避けるためのようです。
当院のアレルギー科を受診する子を見ると、かつてはぜんそくが一番多かったのに、現在では7割くらいが食物アレルギーで、残り2割がアトピー、1割がぜんそくという割合になっています。これだけ食物アレルギーの人が増えた現状では、備蓄食料や支援物資になにかのアレルゲンに該当してしまうため、できるだけ多くのアレルギー対応にしておくというのも、一つの考え方ではないでしょうか。また、炊き出しをやる場合にも、成分表示が必要だと思いますし、アレルギーを持つ方は、食物アレルギーサインプレート(誤食を防ぐためにアレルギー食物を知らせるサインプレート)なども利用してほしいと思います。それから、行政での備蓄だけに頼るのではなく、アレルギーを持つ子のご家庭では、災害時のアレルギーを想定して、日頃からアレルギー対応食品を備蓄しておきましょう。



三浦克志先生(プロフィール)
宮城県立こども病院アレルギー科科長、総合診療科部長
日本小児科学会指導医・専門医
日本アレルギー学会指導医・専門医
日本小児アレルギー学会理事

子どもの食物アレルギー専門医として地域医療に従事。
東日本大震災時、小児医療の拠点となった病院で児童、被災者を受け入れ、診療にあたった