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Onisi 防災コラム その時なにが起こったのか、今からどう準備すれば良いのか 〜 専門家のアドバイス、被災された方々の声を通して、非常食、防災食のあり方を探る 〜 Onisi 防災コラム その時なにが起こったのか、今からどう準備すれば良いのか 〜 専門家のアドバイス、被災された方々の声を通して、非常食、防災食のあり方を探る 〜

2024.01.09

食事と情報は生きるための必要条件 多文化共生のまちづくりとは

~外国人支援はここから始まった 阪神・淡路大震災~

FMわぃわぃ(兵庫県神戸市インターネットラジオ) 金 千秋 様

 尾西食品株式会社(本社:東京都港区 代表取締役社長 古澤紳一 ※以下、尾西食品)は、防災食・備蓄のリーディングカンパニーとして、 ”アルファ米”をはじめとする非常食を製造・販売。 専門家のアドバイス、被災者の声を通して日常の防災意識を高める活動を進め、2021 年3月より、公式サイトにて防災コラムの発信をしております。

 今回は、阪神・淡路大震災をきっかけに、神戸市長田区から世界の言語で情報発信を続けている多言語・多文化コミュニティ放送局「FMわぃわぃ」理事の金千秋様に、外国人支援活動のあゆみや多文化共生の街づくり、災害時における食事の重要性などのお話を伺いました。







FMわぃわぃ理事 金 千秋 様

〜外国人支援活動の始まり〜
――多言語でのラジオ放送開始のきっかけは安否確認だった
 1995年の阪神・淡路大震災で、神戸市長田区は甚大な火災に見舞われましたが、「韓国民団西神戸支部」の一角で被災者向けの炊き出しと、FMラジオの発信を始めました。それが「FMヨボセヨ」です。
昨年は関東大震災から100年にあたり、映画やメディアでも取り上げられていましたが、関東大震災当時の流言飛語によって数多くの朝鮮人が虐殺されたという歴史的な記憶が、70年以上経った当時にもまだ在日コリアンの中には抜きがたく残っており、避難所に行っても恐怖で本名を書けずにいる人が数多くいました。このため安否確認ができずに、混迷を極めました。「この避難所にいるはずなのに見つからない」、そんな状況の中、避難所で何とか情報を得ようとラジオに耳を傾けている人達を見て、「貴方を探している人がいます」と、ラジオで安否情報を中心とする情報を発信しようと思ったのが、放送を開始した理由の一つです。
 もう一つの理由は、情報は生きるための必要条件だったからです。当時在日コリアンの多くは、言葉は問題ありませんでしたが、1980年代以降に難民として移住してきたベトナム人などは日本語が全く解りませんでした。長田にあるケミカルシューズ産業を支えていた在日コリアンにとってベトナム人には情報が必要であるということは、これまで日本という外国で生きてきた経験から容易に想像がつきました。韓国語でのあいさつである「ヨボセヨ」と呼びかけていた「FMヨボセヨ」と、ベトナム人に向けて呼びかけていた「FMユーメン」が一緒になって、それぞれの頭文字Y(ワイ)をとり「FMわぃわぃ」が「カトリックたかとり教会」の敷地内に誕生したのでした。

――被災者向けの炊き出しをすぐに始めました
 食事は生きるためには必要不可欠、絶対条件です。
真冬の寒さの中、温かな食事が必要でしたが、ライフラインは止まってしまっていました。しかし炊き出しはすぐに始められました。というのも1月17日は旧正月の4-5日前ということもあり、朝鮮半島や中国・ベトナム出身者が旧正月を祝うために食べ物を沢山持っていたのです。また、在日コリアンは日頃から焼肉をするので、炭やカセットコンロを持っていたので、調理はすぐにできたのでした。韓国民団西神戸支部のビルの前でキムチやホルモンを使ったチゲ鍋をふるまっていました。すると炊き出しをしていた女性が私の所へ『日本人から「私は日本人だけれどもチゲ鍋をもらってもいいですか?」と聞かれた』と言いに来たのです。日本人からこのような言葉があったことがこの女性はとても嬉しく、誇らしく思ったそうです。今でこそ日本でのお漬物と言えばキムチがトップに挙げられる程に浸透してきましたが、当時はキムチやホルモンが好きな日本人も確かにいましたが、それはかなり珍しく決して一般的ではありませんでした。寒い時期でしたから身体の温まる食べ物を求めてチゲ鍋が余程魅力的に見えたということだったのでしょう。炊き出しをする中で、当時まだ残っていた差別の意識が「食を通じて色々なバリアを越えていく」という光景を目の当たりにし、食の重要性を感じる事となりました。

――食事は心を癒す大切なもの
 当時、コッペパンにミントのクリームが挟まった硬くなったパンが配られたのですが、寒い時にミントのクリームパンというのがどうしても食べられませんでした。「食べられるもの」が支給されていたのですが、「生きるためにはお腹の中に詰め込んでエネルギーにすれば何でも良い」ということではなく、「食事は心を癒すためもの」という考え方が必要です。山積みになっているパンや硬くなった三角おにぎりをそのまま配るのではなく、硬くなってしまったおにぎりは、例えば雑炊にするとか、温かくして食べたいものは温かくする工夫が必要です。日本人がチゲ鍋を食べたがったのも、寒い時の温かい食べものには「心も癒す」という効果があるからだと思っています。つらい時にこそ、自分が食べておいしいと思えるものが、心の栄養になり、生きる力になる。それが次は復興への意欲、悲惨な所から立ち上がる力になると思っています。

〜長田での異文化共生の経験がその後の災害時支援活動へ〜
――阪神・淡路大震災以降の支援活動
 神戸の中にはモスクだけでなく、ユダヤ教のシナゴーグ・朝鮮寺・ベトナム寺や関帝廟があり、さまざまな文化が混在している地域です。異文化が共生する経験を阪神・淡路大震災で知ったことは、その後の支援活動に大いに役立ちました。例えば2011年の東日本大震災時、フィリピンの女性たちの心を癒やすため、怖かった思いを自分たちの母国の言葉で語るためのラジオ番組製作であり、2016年熊本地震時、イスラムの人々にハラール弁当の提案をしたことでした。これまでの経験やさまざまな人との繋がりから、異文化を知ることで、災害現場で共生するために本当に必要なものを支援することが出来ているのだと思います。

――異文化共生において重要な事は
 多様な文化、多様な人々の存在に気づく人を沢山作る、気づいた人が発信していくということが大切だと思うのです。池に石を投げ入れると波紋ができますが、できた波紋が消える前に違う人がまた波紋を作るといった感じで、人と人との関係も波紋のように次々に広がっていく街がきっと豊かなのだと思います。かつて私たちは「どこにいるか解らない“あなた”を探していますよ」と語りかける目的でラジオ放送を始めました。始めた以上は、情報発信を続けなければならなかったのですが、これが人と人との関係を広げ続けていくためには、むしろ良かったのだと思います。
 当時の外国人に聞くと、『ラジオから母国の言葉や伝統音楽が流れるのを耳にして、「やっと私たちが日本社会に認められたのだ」という感覚を持つことができた』と言います。防災も同じ考え方で取り組むことが大切なのではないでしょうか。相手を認める事、例えば一緒に防災訓練をやってみて、知っている事、知らない事をお互いに分かり合う事が大切です。そうすればお互いの壁を乗り越え、異文化共生が当たり前の、災害に強い街になっていくのだと思います。

■金千秋 様 プロフィール

特定非営利活動法人エフエムわいわい代表理事。神戸常盤大学安全学、国際理解、災害援助と救急医療 客員教授。1995年1月17日発災の阪神・淡路大震災から2週間後生まれた在日コリアンの「FMYOBOSEYO」にボランティアとして参加。その3ヶ月後生まれた「FMYUMEN」そしてそのふたつが半年後合体した「FMYY」の活動を中心に、いろいろな場面で災害に強いまちづくりについての講義や講演を行なっている。特に地域はすでに多様性に満ちていることの理解拡充に努めている。